拾うために僕は死なないのか?
それで死なず何千年か何億年か生きているのか
車にひかれた猫を言い訳に死にたくないだけじゃないのか
ということで死んでみた
電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも自分のせいだと思っていたけど電信柱は高いままだしポストは赤いままだった
でも電線は地中に埋められたり、ポストの色は国によって違っていた
猫が車にひかれ続ける
でも僕が拾わなくても車にひかれた猫で陸地や海が埋まることはなかった
保健所が回収して燃やしたり老婆なりが埋めていた
僕はいらなかったんだ
僕の部屋に残る車にひかれた猫は僕のものというわけでもないし
死んでいるから食事とかうんこの世話が必要なわけじゃない
即死しなかった車にひかれた猫が痛々しげに鳴いている
でも僕を呼んでいるわけじゃない
猫が車にひかれていく
猫が車にひかれていく猫が車にひかれていく
猫が車にひかれていく猫が車にひかれていく猫が車にひかれていく
猫が車にひかれていく猫が車にひかれていく猫が車にひかれていく猫が車にひかれていく
アジアでオセアニアでヨーロッパでアフリカで猫が車にひかれていく
どんな悲しみも時間で消えていくように
何万匹、何万年か経てば車にひかれた猫のことを悲しく思わなくなるのかも
「悲しく思わなくなるかも」?
「どんな悲しみも消えていく」のに?
認めろよ
イヤだね
そんな僕もしくは私を殺して車にひかれた猫を拾うのを取り囲んで眺める