杞憂の由来は杞の国の人の憂いから
それって僕が車にひかれた猫のことを憂いていたら日本憂になっちゃう
僕の憂いを日本にするの違和感ある
車にひかれた猫憂なら分かるけど。キ憂とか
でも詳しくないものだとそう見えてしまうことがある
例えば室町っぽいとか日本人っぽいとか
雑に区別してしまう
なので杞の後の時代からみると、あー杞の時代にはそれで憂いがち、ということなのかもな
ただ天地が崩れるんじゃないかという心配なので、どの時代にも一部いる憂いだけど
車にひかれた猫だって室町っぽかったり、杞っぽいのいる
とはいえ 70 年代や 80 年代の映画でカテゴライズする考えもわかる
差別って主語のでかさ
例えば黒人だからとか
車にひかれた猫も千差万別というか千匹超えると千阿僧祇一那由他というか
模様や毛の一本、そこにいるシラミ、分子、原子、素粒子レベルで見れば全部別
うーん、素粒子レベルで考えると全てが同じかもな
もちろん、フォトンやグラビトンみたいに何種類かあるけど
考え過ぎると、過ぎたるはなお及ばざるがごとし的な
杞憂もそう
それは一種の思考停止だよね
一種?
車にひかれた猫に関して一種じゃない思考停止とは?
二種、大型特殊とか?
それと、杞憂ってキ YOU って感じで FUCK YOU みたいな感じ
車からみれば「車にひかれた猫 YOU!」みたいな KILL YOU な キ WILL YOU みたいな
キ'LL YOU
僕は車を殺るのかな。ドラゴンカーセックスみたいに
え、セックスは犯るで殺るじゃないって?
し、し、し、し、屍姦ちゃうわ