万葉集には猫も車も出ないけれど
車にひかれた猫のことがたくさん書かれている。
今も昔も変わらない。
この先、たとえ車にひかれた猫がいなくなっても車にひかれた猫は生まれ続けるし、あり続ける。
この世に生物がいなくなっても、星の最期や衝突し飲み込まれる銀河は、いと車にひかれた猫だし。
宇宙の前や後、ニュートン力学がなかったり、虚無の世界であっても、それはそれで車にひかれた猫。
詠み人知らずで読む人おらずもそれはまた車にひかれた猫。
仮に本当に本当に車にひかれた猫がいない世界だったら僕は何をしているんだろう。
車にひかれた猫がいなくなって口をぽかんと開けてる僕や、そもそも車にひかれた猫を知らず口をぽかんと開けている僕とか。
それってすげえ車にひかれた猫だな。